忘れることのできない葬儀 その3

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忘れることのできない葬儀 その3

私は子供心に、Y君はもう、笑うことも遊ぶことも、
歩くことさえ出来ないで、家でふさぎこんでいるんだろうと
思っていました。
学校や野球になんて、もちろん来ることなんて出来ないだろうと。

かわいそうとか、そういった感情ではなく、淡々としつつも
暗澹たる事実の認識という感覚。

そんな陰鬱とした日々が2~3日続いたのち、Y君のお母さんの
葬儀の案内が届きました。

子供の頃のことですし、あまり細部まではっきりと
記憶しているわけではないのですが、たしか連絡網のような
形で電話で葬儀の知らせがあったように思います。


私は自分自身の気持ちに不可解なものを感じていました。

Y君のお母さんが亡くなったのは悲しい。

少年野球の合宿などで、しょっちゅう触れ合っていた父兄さんの
一人でしたから。

あまり人懐こい方ではなかったと記憶していますが、
口数は少なくとも、その分余計なことは言わない、信頼できる
大人、という印象のお母さんでした。

でも、Y君に久しぶりに会えるのは嬉しい。

のと、正直、

「Y君がどんな顔をしているだろう」

という、不謹慎ながらも偽らざる興味心もあったと思います。

これは今でも、私の醜い面であり、人間として恥ずべき一面だと
自分を責める一材となっております。
ただ、嘘偽りなく白状すれば、そういった心持であったことを
否定することは出来ません。


小学生ですから、喪服など持っていない私たちは、
野球チームのユニフォームをおそろいでまとい、
いつも練習をしている小学校のグラウンドに集合して、
Y君の家に皆で向かいました。

道すがら、小学生の男の子の集団ですから、
どんな状況であれ楽しむことを忘れなかったはず。
でも、どんなバカ話をしたか、楽しかったのか、そもそも
話をしたのかすら、今ではほとんど覚えていません。

覚えているのは、当時60代後半くらいの、おじさんコーチの
「神様ってのはよう、やっぱり人間じゃねえよな。人間じゃこんな
非道なことはできねえよ」
という誰かに向けたつぶやきだけです。

秋から冬に向かう季節、すでに日は暮れて真っ暗な住宅街の路地を、
野球ユニフォーム姿の少年の一団が一列で静かに歩くシーンが、
上記のつぶやきと共に思い出されます。


やがて、Y君の家に着きました。

今思えば、あれは自宅葬だったのですね。
木造平屋の一室、玄関からではなく、縁側というか、
通りに面した居間の窓を取り払ってあり、そこから
靴を脱いで部屋に入ってお焼香する、という葬儀でした。


私たちは年長者から順番に一列に並び、お焼香の番を
待ちました。

私は自分の番が来るまで、祭壇にもご親族席にも目をやらず、
虚空と地面を見つめることを繰り返していました。



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