こんにちは。
この「はじめての葬儀屋さん」という一連のコーナーを書いてます、
susukodamaと申します。
いつも東京葬儀.com・フューネットコーポレーションの宮地社長に、
葬儀業界についてインタビューさせていただき、
その内容をこの場所に記していますが、
今日はちょっと趣を変えて、私の葬儀に関する思い出について、
お話させていただきたいと思います。
「自分語りなんざ、自分のブログにでも書けよ。」
というお叱りが聞こえてきそうですが、
そうでしょう、そうでしょう。
否定しません。おっしゃるとおり。
でも、不必要なものがあるからこそ、必要なものが
際立つように、ゴミみたいな私の自分語りの記事が、
社長へのインタビュー記事を際立たせられたらいいかなと
思って、今日はちょっと閑話休題です。
私は、母子家庭で育ち、貧乏でした。
「でした」って言うと、今は違うみたいですが、
ちゃんと今も貧乏は継続してます。
でも、あの頃は今とは貧乏のレベルが違いました。
それでも、母は懸命に働いてくれて、私に少年野球なんていう
贅沢な活動をさせてくれていました。
そんな少年野球チームのチームメイトのご家庭のお話です。
ある日、少年野球の朝練習に行こうと、いつもどおり早朝に
母に起こしてもらいました。
とはいえ、暗くて寒い冬の朝、布団の中でいつまでもモゾモゾしていると、
ドーーーーーーーーーーーン!!!!
という、地の底から湧き出るような音とともに、1~2秒だけ、家というか、
地面全体が振動しました。
地震かな?とも思いましたが、揺れというより振動で、それも一瞬で
収まってので、母とも、「なんだったんだろうね?」程度でその時は
済ましていました。
その日、朝練を終えて学校に行くと、先生が
「今朝、Y君のお宅でガス爆発があり、Y君はしばらくお休みです」
とのこと。
Y君は、少年野球チームのチームメートです。
彼自身にケガはなかったのですが、彼のお母さんが、
全身に大やけどを負われたとのことでした。
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